連歌師宗長と酬恩庵
- [2026年5月1日]
- ID:23507
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京田辺市史編さんの一環として、IT市史に取り組んでおり、京田辺の歴史や文化などをインターネット上で紹介しています。ここでは、連歌師宗長と一休宗純や酬恩庵一休寺の関係について紹介します。
柴屋軒宗長
柴屋軒宗長(さいおくけんそうちょう)は戦国時代に活躍した連歌師です。連歌とは、和歌(短歌)の形式を用いて、五七五、七七、五七五、七七…と複数人の参加者が詠み繋いでいき、一つのまとまりをつくる文芸形式です。南北朝時代から室町時代にかけて連歌の流行に拍車が掛かり、全国津々浦々、天皇から庶民まで連歌に熱中し、特に室町時代の連歌史上に占める位置はきわめて高いものとされています。宗長はそのような情況の中で連歌師として活躍しました。
宗長は、文安5年(1448年)に駿河国(現静岡県)に生まれ、18歳で出家し、後に京都に出て連歌を宗祇に師事、一休宗純に参禅しました。後世に連歌の手本とされる『水無瀬三吟(みなせさんぎん)』・『湯山三吟(ゆやまさんぎん)』を師である宗祇や兄弟弟子である肖柏(しょうはく)とともに詠み、同時代の連歌集『新撰莵玖波集(しんせんつくばしゅう)』に33句が入集するなど、連歌の歴史においても重要な位置を占めます。宗長は、明応5年(1496年)に駿河に帰国しますが、その後も度々上洛し、晩年には酬恩庵に滞在した記録を残しています。終の棲家を一休宗純ゆかりの地である真珠庵や酬恩庵に求めますが叶わず、天文元年(1532年)に駿河国にて85歳で亡くなりました。
一休宗純と宗長
出家と前後して、宗長は駿河守護今川義忠に仕えるようになります。今川義忠は文明8年(1476年)に戦死しており、この前後に宗長が上洛したとされていますが、正確な上洛時期はわかっておらず、一休へ参禅した正確な時期なども不明です。一休は文明13年(1481年)に亡くなっているため、仮に文明8年に上洛し、すぐに一休に参禅していたとしても生前の一休と宗長の交渉は5年ほどの短い期間だったと言えます。しかし、一休を追慕する宗長の想いは深く、例えば、延徳3年(1491年)に一休宗純を開祖とする大徳寺の塔頭真珠庵が創立された際に、宗長が銭100文を寄進した記録が残っています。また、大徳寺の山門造営に際しては、越前(現福井県)に赴いて朝倉氏に寄進の催促を行い、自身も持ち物を売り払い、寄進をしています。宗長が晩年に書いた『宗長手記』には一休が幾度も登場します。
『宗長手記』と酬恩庵
『宗長手記』は、大永2年(1522年)から同7年(1527年)、宗長75歳から80歳までの日記です。すでに宗長は駿河に帰国しており、宇津山山麓に柴屋軒を結庵していましたが、この時期にも上洛と下向を繰り返し、何度も酬恩庵を訪れています。

「宗長手記」(『群書類従』)/国立公文書館
宗長は、大永2年10月から翌3年3月まで酬恩庵で過ごしており、年末には「ねがはくはことしの暮のたきゞきるみねのゆきよりさきにきえなん」という「薪」の地名を詠み込んだ歌を詠んでいます。願うことならば今年の暮れの薪を切るこの薪の峯の雪よりも先に消えてしまいたい、というほどの意味でしょうか。これは西行法師の「願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ」を踏まえたものと考えられます。実際に桜を愛した西行は桜の咲く旧暦2月に亡くなっており、自身も一休宗純ゆかりの地であるこの薪の地で最期を迎えたいという宗長の願いが感じられます。またこの時、当代随一の文化人として知られる公家の三条西実隆と和歌の贈答をし、「つれづれとくらす薪のやまざとの名をのみたのむ雪のうちかな」と薪の地名を詠み込んだ歌を残しています。
翌大永4年も、宗長は酬恩庵で越年しています。この時、酬恩庵の傍らの廃寮で、宗長を含む6、7人が集い、味噌田楽で酒を飲みながら俳諧に興じた様子が『宗長手記』に記されています。その中には、俳諧の祖とも目される山崎宗鑑の名前も見られ、この時の宗鑑の句の一部は、宗鑑が選を行った『犬筑波集』にも収録されています。
碁盤の上に春は来にけり
鶯の巣籠もりといふつくりもの 宗鑑
朝がすみすみずみまでは立いらで 宗長
『宗長手記』に記されている俳諧の記録の末尾部分です。碁盤の上に春が来たという意味の句に対し、宗鑑は鶴の巣籠もりという囲碁の手を踏まえ、春の鳥である鶯を詠み込んでいます。一方、宗長は碁盤の隅までは朝霞が入らないと詠んでいます。囲碁では隅を取る有利になるので、それを踏まえていると考えられます。この2句のあとには、「これも愚句付まさり侍らんかし」という宗長の言葉が記されています。「まさり」は「勝り」、自分の付けた句の方が勝っていると誇っているようです。
このように、『宗長手記』には宗長が酬恩庵で過ごす様子が記録されています。『京田辺市史資料編第2巻 中世・近世資料』には『宗長手記』のうち、酬恩庵に関係する部分を抜粋して掲載しています。ご興味がある方は一度ご覧頂くと面白いかも知れません。
参考文献
鶴崎裕雄『戦国を往く連歌師宗長』(角川書店、2000年)
奥田勲『連歌史-中世日本をつないだ歌と人びと』(勉誠出版、2017年)
島津忠夫校注『宗長日記』(岩波書店、1975年)
京田辺市史編さん委員会編『京田辺市史資料編第2巻中世・近世資料』(京田辺市、2026年)
監修:野田泰三(京田辺市史編さん中世・近世部会員 京都橘大学文学部教授)
作成:市史編さん室
