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あしあと

    『個性キラリ☆自分流』第48回 絵本作者 北村 昌子 さん 「50年越しの夢かなう」

    • [2023年3月1日]
    • ID:18886

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    北村 昌子 さん(絵本「あおむしアーちゃんムーちゃんのぼうけん」作者) 「50年越しの夢かなう」

    北村さん写真



    北村 昌子(きたむら まさこ) さん

    昨年5月に初めて絵本を出版

    絵本の出版に至った経緯は

     絵本は子育てしている頃から作りたかったのですが、その頃はものすごく忙しくて全然考えられなくて、でも絵本は好きだから、ずっと頭にはありました。

     育児と親の介護が終わり時間が持てるようになってから、75歳くらいの時に週刊誌で見たイラスト募集に応募したことがきっかけで、講談社が当時やっていた通信教育を受講することになりました。絵について理論的に学んでみたい気持ちがあったので、まずは絵画全般について基礎を学ぶアートコースに入って、その後絵本専科というコースに進みました。勉強するうちに、絵本の絵の描き方や文章のつくり方もだんだんわかるようになっていきました。ある日、畑のキャベツが葉脈だけ残してまるでレースのようになっていて、青虫が頭をふりふりしながら食べているのがかわいらしくて、自然に構想が浮かび、文章を作って12枚の絵を描きました。

     作った絵本を添削に沿って描き直して、初めはそれをコピーして、自分だけで楽しんでいました。文芸社で年に1回募集している「えほん大賞」というのがあり、賞に入らなくても批評して返してもらえるとのことだったので、一度、他人の目で見てもらおうと応募しました。その時に、出版しませんかと電話をもらったのですが、どうもピンと来なくて、今のところはやめておきますとお返事しました。それから2年ほど経って、また同じ方から電話がかかってきて、その時は夫にも相談して、出版することになりました。

     長年ずっと思っていたことが、機が熟したのでしょう。私は何に対しても求めず、拒まずという性格で、すっと来たものを受けて波に乗った感じです。この出版もぼんやり思っていたところへお誘いがあったので、乗ってしまったというところです。

    出版にあたり苦労されたことは

     絵に関することはいくらでもしたいという気持ちが湧いてくるので、苦労したというようなことはありません。絵は小さい頃から身の回りの花や動物をしょっちゅうスケッチしていてデッサン力ができてきたのかなと思います。青虫はディズニーのアニメーションやイラスト的な絵が好きだったから、マンガっぽい感じで描きました。蝶の絵はリアルですが、小さい子どもさんが見るのにいい加減なことは描けないという思いがあり、さなぎの時期を描いたのも、蝶の生態を間違ってはいけないということが頭にありました。

     出版するときにはいろいろと直すように言われるものとばかり思っていたのですが、全部私の描いたそのまま、本になりました。絵がきれい、かわいいキャラクターだからいいとおだてられて、ちょうど5月の青虫がいる頃に出しましょうと言われ、自然にできていったように感じます。

    この絵本を通じて伝えたいことは

     虫が好きな子もいるだろうけど、見ただけでキャーッと言って逃げる子も多いと思います。もう少しじっくり見て、虫たちにも自分たちと同じような世界があるかもしれないと想像したりしながら、自然に親しんでほしいですね。本当は画面で見ているだけでなく、実際に自然の中で丁寧に見ていたらまた興味がわくかなと思います。そして、小さな生き物を通じて、つながる命の大切さを子どもたちに知ってもらえたらという思いもあります。

     そのような気持ちから、以前、離れた所に住んでいる孫に、アゲハの幼虫を育てさせたことがあります。街だとエサがないので2日にいっぺん山椒の木を送ってやって、そうしたらちゃんとアゲハになって飛んで行ったそうです。そういう小さな生き物でも一生を見ておくことは、他の生き物にも応用が効き、「命の大切さ」が知らぬ間に身につくかなと思います。

    絵はずっと続けてこられたのですか

     父が絵の仕事をしていたので子どもの頃から影響を受けて、ずっと好きで描いていました。美大に行こうと思っても、昔は女の子が4年も大学に行くものではないという考えがありましたから、短大の服飾科へ進みました。デザインを学べて楽しかったです。卒業後は大阪のコマーシャルのプロダクションに入って、絵コンテを作る仕事をしていました。

     結婚して田辺へ来た時に、古い風景がたくさん残っているのがおもしろくて、これを版画にしようと思いました。一休寺や酒屋神社の風景を版画の年賀状にしていたら、それが新聞に載りました。その後、市からもいろいろ依頼されて、さまざまな記念品のデザインなどに使っていただきました。

    普段はどのような活動をされていますか

     絵や木版画の制作をしています。京田辺芸術家協会や大阪にある版画の会へ毎年出展しているほか、NGOのNICCO(公益社団法人 日本国際民間協力会)を支援するチャリティー展へ寄贈しています。この活動は今年で14年になります。

     薪小学校の図書室の傷んだ本の修理もゆっくりですが、もう10年以上やっています。本が好きで、製本も好きです。

    気分転換にされていることは

     いろいろなことをしているから、気分転換は必要ありません。手先を使うのが好きで、絵の他に手芸、洋裁、手工芸的なものづくりや家事と制作を交互に行っています。どれもプロとしてやる気がないので、いい加減なものですけど、手先を使うことは楽しくてやめられません。そうやって、家でこちょこちょ絵を描いたりしているのがいちばん好きだけれど、やはり出かけて行ってお友達に会うのも好きです。

     1月は芸術家協会展があったので、年末から大掃除もそっちのけで版画の制作に取り組んでいました。出展しているくらいの大きさの作品で、制作に1日3時間くらいかけたとして、通常、3か月くらいかかります。あまりやっていると体も痛くなってくるので、間に他のことをして体をほぐすという感じです。

    日頃心がけていることは

     歳だからあちこち痛くなってたまに整形外科に行くことはありますが、元気です。元気だからこそ好きなこともできるので、ノルディックウォーキングクラブや体操クラブ、スローヨガにも行って、とにかく歩いたり身体を動かすようにしています。そのほうが痛みも楽になることが多いから、筋肉を柔らかくしておきたいというのがあって、体がカチカチにならないようには気をつけています。

    今後の目標は

     絵本の次回作は、全然考えていません。プロの人だったら次は何を作ろうと考えて大変なのでしょうが、そうではありませんので、また何か題材に出会ったら作るかもしれませんが、他にもしたいことがたくさんあります。いろいろなことのバランスを取って、いつもどっちが大事?と自分に問いかけながら動いています。

     今は自分の時間があるからしたいことができると思いますし、そういう環境に感謝しつつ、今の元気さを維持できるよう体に気をつけ、できる限り木版画の制作を続けたいです。そして、100歳を節目に「100歳記念展」でもできたら、面白いなと思っています。

    インタビューを通じて・・・

     「長年ぼんやりと思っていたことの機が熟しただけ」と話す北村さん。何歳になってからでも、どんなにゆっくりでも、行動することの大切さを教えていただいたように感じました。

     ご協力ありがとうございました。

    お問い合わせ

    京田辺市役所市民部人権啓発推進課

    電話: (人権啓発)0774-64-1336、0774-62-4343(男女共同参画)0774-64-1336

    ファックス: 0774-64-1305

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