『個性キラリ☆自分流』第22回~バレエダンサーとして世界で活躍する男性~スロベニア国立バレエ団 ソリスト 山本健太さん 「心で伝える踊りを目指して」
- [2020年6月25日]
- ID:9820
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山本健太さん(スロベニア国立バレエ団ソリスト)「心で伝える踊りを目指して」

やまもと けんた
山本 健太 さん
スロベニア国立バレエ団
ソリスト
バレエを始めたきっかけ
市立桃園小学校に通っていた頃、バレエを習っていた姉を見て、自分から「僕もやりたい」と言ったのを覚えています。市内のバレエ教室は女の子ばかりでしたが、楽しく通っていました。当時はサッカーやハンドボールなどスポーツ全般が好きで、バレエはそれら好きなものの内の1つとして考えていたと思います。
小学5年生のとき、両親の勧めで中国に留学することになりました。上海舞踊学校に入った当初は、当時好きだったヒップホップを学ぶつもりでした。その後バレエを選択し、周りの生徒に比べると幾分遅いスタートにはなってしまいましたが、バレエに真剣に取り組むようになっていきました。一人基礎から学んでいる状況が嫌で、その頃は「始めたからには、ここで一番うまくなってやる」と思っていました。
バレエダンサーになるまで
上海舞踊学校在籍当時、このままバレエを続けるか迷いながらも、ロンドンバレエスクールを受験しました。1度目の受験で落ちたときは、次の年でもだめだったら金輪際バレエをやめようとも決めていました。実は、当時はロンドンバレエスクールに行きたいと思えず、どうしたら中国に残れるかばかり考えていました。中国で友達も沢山できましたし、居心地の良かった上海での生活から知らない土地でまた一から人間関係を築くことが嫌で、実際2度目の受験のときはやる気が出ず、適当にこなしていたと思います。しかし、固くならない姿勢が却ってよかったのか合格し、15歳で渡英することになりました。ロンドンバレエスクールへの留学について、父は「とりあえず1年やってみろ」と応援してくれましたが、1年後進路を相談した際には「なんでも3年はやってみろ」となぜか年数が延びていました。
職業としてバレエを続けるか悩んだ際も、父が「息子はバレエダンサーになる」と周囲に言っていたため、相談する前からオーディションを受けることを決断することができました。
オランダやチューリヒなどの五大バレエ団をはじめ、フィンランドやエストニアなど、複数のバレエ団から契約をもらっていた中、丁度日程が重なっていたため、観光に訪れたスロベニアでもオーディションを受けることにしました。すると不思議なことに、空港に着きスロベニアの景色を目にした瞬間、「僕はここでバレエをする」と直感したのです。力むことなくオーディションに臨んだのが良かったのか、その場で契約という話になり、即決断しました。
ロンドンに帰りスロベニア国立バレエ団に行くと報告したときは、周囲の人達から大変驚かれました。しかし実際に住んでみても、この国は本当に自分に合っているのだと感じています。
バレエダンサー(ソリスト)として
バレエダンサーの仕事は、基本は舞台に立つことです。毎日朝晩のレッスンとリハーサルをし、年間70本ある公演に臨みます。
日本ではバレエ鑑賞は敷居が高いイメージがありますが、ヨーロッパではむしろ逆で、小さい子どものいる家族連れやカップルなどが気軽に訪れる舞台です。「くるみ割人形」のような夢の世界を描いた作品を子どもに見せる親も多く、日曜日の昼に公演したり、公演時期を12月のクリスマスシーズンに設定しています。デートでの観劇を見込み、「ロミオとジュリエット」のようなロマンチックな演目は2月のバレンタインシーズンに合わせるなど、バレエ団もマーケティングに余念がありません。演目ごとに客層が変わるのに合わせ、バレエダンサーの表現も変わっていきます。
自分はバレエ団の中では若い方ですが、2014年よりソリストに選ばれ、主役もさせてもらえるようになりました。もちろんそれで満足はしてしまってはいけません。ソリストはカンパニーを引っ張っていく存在でありつつ、ストーリーを引っ張っていく存在でもあります。一度、自分の演じたガラ(デュエットの連なり)について、監督から「あれは○○役の演技ではなかった。お前が動いていただけだ」と怒鳴られたことがありました。後から映像を見て納得しました。バレエには元となる物語があり、そして物語には歴史の経緯と作者の意図があります。バレエダンサーは、自分が演じる・表現する作品についてよく勉強しておかなければなりません。
しかし、バレエを続けるからこそ、バレエ一筋にならないということも大切です。自身の中から役を引き出すため、バレエ以外の沢山の経験をし、そこで得たものを自分に取り込み蓄積させておく必要があります。今バレエを習っている子どもたちに何か伝えるならば、バレエだけを考えるようにはならないでほしいということです。学業、遊びを通じて得た経験を、バレエにつなげてほしいと思います。
これまでの経験の中で良かったこと・苦労したこと
海外で生きていくにはやはり言葉が大変でした。初めはジェスチャーや、人が言っていることを繰り返したりしていました。今では中国語、英語を話せます。大きな財産です。
小学5年生で上海に渡ってからというもの、中国語が話せないと意思疎通ができず、中国人の友達と遊ぶため必要から中国語を覚えました。英語も渡英してから学びましたが、ロンドンで友達もでき、バレエスクールの卒業に必須のケンブリッジ英検にも無事合格することができました。
心掛けていること
「常に強い心を持ち、何事にも全力で挑戦する」です。
不安になることはあまりありません。熱が出ている中舞台に立ったこともあります。観客にはダンサーのその日の体調まで知ることはできないからです。むしろ困難な状況になるほどワクワクする性分で、自分がこの状況でなにができるのか試してみたいという気持ちがあります。
バレエダンサーは皆それぞれルーティーンを持っていますが、大舞台に立つ際の私のルーティーンは、「出番になるまで舞台袖で目を閉じていること」です。舞台上に立ち初めて目を開けることで、強い照明が一気に目に入ってきます。その方が目が照明に早く慣れるという利点もあります。何度舞台に立っても緊張しないというわけではなく、だからこそ「不安」を日々の練習やリハーサルで解消しています。
身近な方からの反応は
中国への留学を勧めたのは両親でしたが、父は当初、男性である私がバレエの道に進むことにあまり賛成ではありませんでした。しかし、上海を訪れ、踊っている私を見たときに考えが変わったそうです。それ以来、ロンドンへの留学、スロベニアでのバレエ団への入団など、私の選択をいつも尊重し応援してくれる存在です。
京田辺市との関わり
生まれ育った京田辺市で何か役に立ちたいという思いがあります。この夏、オフ・シーズンで帰省した際には、子どものときに通っていた市内のバレエ団で教えたり、同志社女子大学クラシックバレエ部の練習に参加する機会を得ました。
生徒達にとっては、英語での指示や見たことのないステップなど、初めて経験することばかりだったかもしれません。しかし、生徒達の一生懸命理解しようとする姿勢や、「心の目」で見て何かを学び取ろうとする熱意を感じることができました。
バレエは身体を使ってさまざまな感情を表現するものですが、私が一番大切にしていることは「心」で表現することです。そのことが少しでも生徒達に伝わっていたら嬉しく思います。
これからの抱負
目標としている人物がいるわけではなく、むしろ他人の演技は見ないようにしています。その人になりたいわけではないからです。表現は皆ちがっていて、その人の表現はその人にしか出来ません。皆自分にしか出来ない表現を模索しています。自分も「山本健太」の表現を目指すだけです。
バレエダンサーとしてもう1段階ステップアップすることができるような、新しいことに挑戦したいです。
インタビューを通じて…
国も年齢もさまざまな団員たちと信頼関係を築くため大切にしていることは「自分の努力を見せること」だという山本さん。山本さんのひたむきな姿勢が、仲間や観客を惹きつけ続けているのではないでしょうか。
お問い合わせ
京田辺市役所市民部人権啓発推進課
電話: (人権啓発)0774-64-1336、0774-62-4343(男女共同参画)0774-64-1336
ファックス: 0774-64-1305
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