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あしあと

    JR片町線(学研都市線)と京田辺

    • [2022年12月27日]
    • ID:18751

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     京田辺市史編さんの一環として、IT市史に取り組んでおり、京田辺の歴史や文化などをインターネット上で紹介しています。ここでは、京田辺市域におけるJR片町線(学研都市線)の歴史をご紹介します。

     明治5年(1872年)、新橋-横浜間において日本最初の鉄道が開通します。関西においては、明治7年に大阪-神戸間において鉄道が開通し、明治9年には大宮通に仮停車場を設けて京都-大阪間の運行がはじまります。その後、私設鉄道の増加により、多くの鉄道が誕生しました。明治23年(1890年)度には私設鉄道が官設鉄道を開業距離ではじめて上回るなど、私設鉄道優位の時代が到来します。京田辺市域を通過し、多くの人々が利用するJR片町線(学研都市線)や同線の沿線駅がこの時期から整備されはじめます。

    私設鉄道による鉄道敷設

     現在の京田辺市域に鉄道が走るきっかけは、城河鉄道株式会社の設立にさかのぼります。明治26年(1893年)に創立発起人会が田辺村でひらかれ、逓信大臣への創設願が提出され、翌年、同社は会社設立の認可を受け、日清戦争による着工延期をはさみ、本社を田辺村に置く株式会社として発足しました。
     同社は四條畷-新木津間の鉄道敷設を計画していました。明治28年8月には、浪速鉄道によって片町-四条畷間が開通されており、城河鉄道はそこに接続する形での鉄道敷設を目指します。大正10年(1921年)に鉄道省が編さんした『日本鉄道史』によれば、建設工事は後述する関西鉄道に委託したようです。
     明治30年(1897年)に、城河鉄道は鉄道事業を三重県四日市に本社を置く関西鉄道に買収されます。関西鉄道は同年に浪速鉄道も買収し、明治31年には四條畷-新木津間を開通させ、片町-新木津間の鉄道運行がはじまりました。このときに、現在の京田辺市域内で最初の鉄道駅として田辺駅(現JR京田辺駅)が開設されています。同年11月には新木津-加茂間が開通し、関西鉄道の既設路線と接続され、大阪-名古屋間が全通することになりました。
     以下の画像は明治31年(1897年)の片町-新木津間の「列車発着時刻及賃金表」です。当時、片町-新木津間の直通列車としては、上り下りそれぞれ1日8本が走っていました。運賃は41銭、所要時間は片町-新木津が2時間11分、新木津-片町間が2時間12分となっています。なお、令和4年12月現在、平日に京橋-木津間を直通運転している本数は、上り下りそれぞれ36本あり、運賃は770円、快速の所要時間は約60分となっています。

    明治31年(1898年)の片町-新木津(木津)間の「列車発着時刻及賃金表」(京田辺市蔵)

    ※関西鉄道と当時の時刻表については、別の記事(「明治時代の鉄道時刻表」)を掲載しています。

    国営化と新駅の整備

     明治39年(1906年)に鉄道国有法が成立し、「一地方ノ交通ヲ目的トスル鐵道」を除き、私設鉄道が国によって買収され国有化されることになりました。同法では関西鉄道も対象とされますが、関西鉄道側は、一地方の路線であり幹線ではないと主張し、内閣総理大臣に鉄道国有化除外請願書を、貴族院・衆議院議員などに国有除外請願懇願書をそれぞれ提出し、国有化からの除外を求めましたが、関西鉄道は明治40年10月1日に国有化されます。これ以後は、旧関西鉄道の路線は国営の鉄道として、利用者や沿線住民の生活に大きな役割を果たすこととなります。

     その後、昭和27年(1952年)12月には大住駅と上田辺駅(現JR三山木駅)が新設されます。同年3月には、片町線沿線市町により片町線複線化期成同盟が組織され、片町線の複線化と電化を求めた促進運動がすすめられていきます。昭和54年(1979年)に四条畷-長尾間が複線化され、大阪府側は複線電化が完了します。昭和61年(1986年)には同志社大学田辺キャンパスの開校に合わせ、同志社前駅が新設されます。平成元年(1989年)3月には松井山手駅が新設されるとともに、長尾-松井山手間の複線化が完了しました。また、同時に長尾-木津間の電化が完了し、片町線は全線が電化されます。平成9年(1997年)3月には田辺町から京田辺市への市制施行に先だち、田辺駅は京田辺駅に、上田辺駅はJR三山木駅に改称されます。

     国鉄は昭和62年(1987年)に分割民営化されJRとなります。昭和63年から、片町線は学研都市線という愛称でも呼ばれるようになり、平成9年にはJR東西線の開業に伴い片町駅が廃止されるなど、大きな変動もありますが、同線は京田辺市域と大阪方面との往来を支え続けています。

    開業当時の大住駅(左)と上田辺駅(右・現JR三山木駅)(昭和27年)

    駅名変更に伴う看板の付け替え(平成9年)

    参考資料

    鉄道省『日本鉄道史』上編・中編・下編 大正10年
    田辺町近代誌編さん委員会『田辺町近代誌』昭和62年
    老川慶喜『日本鉄道史 幕末・明治編』平成26年(中央公論社)
    老川慶喜『日本鉄道史 昭和戦後・平成編』平成31年(中央公論社)

    監修・作成

    監修:本岡拓哉(京田辺市史編さん近代・現代部会部会員 同志社大学人文科学研究所専任研究員)

    作成:市史編さん室

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