京田辺の延宝検地帳
- [2020年5月29日]
- ID:14868
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京田辺市史編さんの一環として、IT市史に取り組んでおり、京田辺の歴史や文化などをインターネット上で紹介しています。ここでは、京田辺市が所蔵する延宝検地帳を紹介します。

京田辺の延宝検地帳
江戸時代の延宝年間(1673-1681)に畿内を中心とする幕府領などで行われた延宝検地は、周辺諸国の大名が分担して行いました。幕府領であるにもかかわらず幕府の代官ではなく大名が検地を行ったのは、代官と村方の馴れ合いによる不正を防止するためだと言われています。山城国の延宝検地は淀藩が行い、藩主石川憲之の家臣の石川伊織が検地惣奉行をつとめました。
検地では、6尺1分(約182cm)の一間竿などを用いて田畑の面積を測量し、田畑に上々・上・中・下・下々の五段階のいずれかの等級を付け、耕作者や地名などを登録しました。江戸時代には太閤検地を古検、延宝検地を新検として村の総石高の基準とし、年貢を算定する時の目安としました。
山城国の延宝検地帳はあまり原本が残っておらず、下記の高木村延宝検地帳は貴重なものと言えます。また延宝7年(1679)に作成された高木村延宝検地帳は300年以上経過してもほとんど損傷が見られず、保存状態が良好な点が特筆されます。他に京田辺市域では原本は確認されておらず、江津村延宝検地帳写など、原本の写しはいくらか残されています。
検地帳は江戸時代の村の田畑の様子を知る上で基本となる史料ですので、市史編さん事業を通して史料の所在確認を進めています。
高木村延宝検地帳(京田辺市所蔵)
江津村延宝検地帳写(京田辺市所蔵)

高木村延宝検地帳
江戸時代の高木村(現京田辺市三山木)は朝廷・幕府・旗本・淀藩の複数の領主が支配する村で、村高は享保14年(1729)には767石でした。検地帳は領主ごとに作成されることが多く、上記の高木村延宝検地帳は「分米合百五拾弐石七斗七升九合」とあることから、朝廷領(禁裏御料)のものだと考えられます。
検地帳の内容を整理すると、田の面積は約9町7反(約9.7ヘクタール)で、等級の内訳は上々田が28%、上田が49%、中田が11%、下田が10%、下々田が2%となっています。
また畑の面積は約1町6反(約1.6ヘクタール)で、等級の内訳は上畑が43%、中畑が36%、下畑が19%、下々畑が2%となっています。
このように、田地は畑地の約6倍も面積があったことや、田は上田以上が約7割、畑は上畑が約4割を占め、比較的収穫量の多い地域であったことなどがわかります。
監修:東昇(京田辺市史編さん中世・近世部会長 京都府立大学文学部准教授)
作成:市史編さん室
画像の公開
京田辺市所蔵『高木村延宝検地帳』(ファイル名:takagimura-kenchicho.pdf サイズ:8.24MB)
※解読文(翻刻文)は『田辺町近世近代資料集』のP49~P69に掲載しています。
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参考文献
岸妙子「京都近郊における延宝検地の一事例」(『史窓』第57号、2000年)
東昇「江津村検地帳と地名・耕地」(『京田辺市所蔵近世近代文書調査報告書1』、2018年)