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あしあと

    近鉄京都線と京田辺

    • [2022年12月27日]
    • ID:18752

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     京田辺市史編さんの一環として、IT市史に取り組んでおり、京田辺の歴史や文化などをインターネット上で紹介しています。ここでは、京田辺市域における近鉄京都線の歴史をご紹介します。

     現在、JR片町線(学研都市線)と並んで京田辺市民の往来を支えている近鉄京都線ですが、その前身は奈良電鉄が昭和3年(1928年)に営業を開始した西大寺-京都駅南口間を結ぶ線です。

    奈良電鉄

     奈良電気鉄道株式会社は本社を宇治町(現宇治市)とし、大正14年(1925年)5月に創立されました。同社はその後、用地買収、鉄道敷設を進め、昭和3年5月には車庫を田辺町に竣工し、11月には伏見町(現京都市伏見区)に本社を移転しました。昭和3年(1928年)11月3日には西大寺-桃山御陵前間が開通し、これに合わせて新田辺駅と三山木駅が設置されます。同年11月15日には桃山御陵前-京都駅南口間が開通し、奈良-京都間が全線開通しました。同線は大阪電気軌道奈良駅(現近鉄奈良駅)に乗り入れ、奈良-京都間を普通電車68分、急行電車57分で運行しました。
     昭和4年(1929年)には旅客誘致施設として木津川水泳場が田辺町に設置されました。水泳場は新田辺駅と富野荘駅の間に位置し、夏季期間中は木津川左岸に「木津川」という臨時駅が設置されました。最盛期の昭和30年(1955年)度には177,100人の入場者がありましたが、昭和40年頃に廃止されています。旅客誘致のための施設は木津川遊泳場のほかに、木津川グライダー場(昭和7年開場・昭和9年閉鎖)、寺田野球場(昭和10年開場・昭和18年閉鎖)、寺田ラグビー場(昭和11年開場・昭和18年閉鎖)が開設されています。
     昭和29年(1954年)7月には興戸駅が新設され、同年9月には京都-奈良間の特急運行を開始します。しかし、沿線開発の遅れや台風などへの災害復興などにより、同社の経営は悪化し、昭和37年(1962年)4月に京阪電鉄が所有していた奈良電鉄の株が近畿日本鉄道(近鉄)に譲渡され、奈良電鉄は近鉄の系列会社となります。その後、昭和38年10月1日に近鉄と合併し、奈良電鉄はその歴史に幕を閉じました。

    奈良電鉄路線図(京田辺市蔵)

     開業当時の興戸駅(昭和29年)

    昭和30年代の三山木駅

    合併から現在まで

     昭和41年(1966年)に近鉄による新田辺住宅地の分譲が開始され、沿線付近でも住宅開発が続き、近鉄京都線を利用する乗客も増えていきました。昭和44年には新田辺車庫の収容力増強工事が完成、新田辺駅舎やプラットホームの改築が行われ駅東側にも改札口が設置されました。昭和61年(1986年)には、同志社大学の開校に伴い近鉄興戸駅のプラットホームの拡張工事が行われ、その後橋上駅舎に改築されました。昭和63年に新田辺駅が橋上駅化し、駅前広場も整備されます。平成5年(1993年)には近鉄宮津駅が新設、平成17年(2005年)には三山木駅の高架化が完了しています。

    昭和40年代の新田辺駅

    参考資料

    奈良電気鉄道株式会社社史編纂委員会編『奈良電鉄社史』昭和38年
    田辺町近代誌編さん委員会『田辺町近代誌』昭和62年
    中津川敬朗監修『京田辺・木津川・綴喜・相楽の今昔』平成26年 郷土出版社
    広報たなべ第291号(昭和63年10月1日)
    広報たなべ第551号(平成17年8月1日・15日)

    監修・作成

    監修:本岡拓哉(京田辺市史編さん近代・現代部会部会員 同志社大学人文科学研究所専任研究員)

    作成:市史編さん室

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    京田辺市役所市民部市史編さん室

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