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あしあと

    京田辺のくらし:今も受け継がれる「とんど」

    • [2021年11月30日]
    • ID:16796

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     京田辺市史編さんの一環として、IT市史に取り組んでおり、京田辺の歴史や文化などをインターネット上で紹介しています。ここでは、京田辺市が所蔵する歴史資料に描かれた京田辺の「とんど」について紹介します。

    生駒翠山が描いたとんど

     昭和初期から昭和39年に亡くなるまで京田辺に住んでいた画家の生駒翠山は、絵葉書にとんどの様子を描いています。翠山は、「爆竹火」と書いて「とんど」と読ませています。

    「東ではあまり見ませんが 今日ハ城南一帯トンド日でした 三時頃からパチパチといふ音 が方々から聞へてきます
    子供の走る足音や笑声 四時頃トウトウ村から起され ました 爆竹火のあがり方で一年の稲 の凶豊を判じるのだそうです
    この火を竹の先に移して家 の十五日の煮ものをし一切 の事を避ける種々の事を やります 然し小生にはそん な事よりも
    全体から一種 田舎の正月らしい気分 それ が面白く見られました」

    昭和4年1月15日絵葉書表面(京田辺市蔵)

    絵葉書裏面

    「とんど」とは?

     とんどは、1月15日の小正月に火を焚いて、無病息災を祈願する行事です。左義長(さぎちょう)と呼ぶ地域もあります。14日に外した正月飾りやしめ縄や書き初めなどを、15日のとんどの火で燃やします。とんどの火で、持ってきた餅を焼いて食べる人もいます。

    東区のとんど

     東区では、昭和58年頃から自治会の行事として、小正月に近い日曜日にとんどを行っていますが、昔は、1月15日の小正月にしていました。とんどの前日に自治会役員が竹を組んで準備をし、当日の午前8時頃になると、住民は正月飾りやしめ縄を持って集まりました。昔はお手洗いを含むすべての場所にしめ縄をしていましたが、お手洗いのしめ縄だけは、とんどの火とは別に燃やす場所を用意していました。

     とんどの前日の晩、お日待ち講という行事があり、これは現在も続いています。東区の数軒~数十軒がまとまって講を作っており、当日はトウヤと呼ばれる家に集まります。床の間に代々受け継がれてきた掛け軸を飾り、御神酒を供え、大徳寺(京田辺市東)の住職にお経をあげてもらい、御札を授かります。トウヤは紅白のまんじゅうを用意して、大徳寺から授かった御札と一緒に参加者に配ります。 お日待ち講は、最後に御神酒を飲んで解散します。

    とんどの組み方

     とんどは竹を組んで土台を作ります。竹は、長い4本を用意して、先だけ葉を残します。4本の竹の先を中心にして、四方にねかして十文字にします。藁で先をくくり、四角錐になるように建てて、下方に2m四方のスペースを空けます。このスペースを確保して竹の根元を杭でとめ、4本の竹に別に切った竹をわたし、竹を覆うように藁をかけていきます。最後に、音がするように生の竹の節を入れておきます。

    東区のとんど製作風景

    とんどの思い出

     65年くらい前から東区のとんどに参加しています。子供の頃の思い出としては、15日の小正月に、子供たちが、自分の家から2段の鏡餅の上部分を持ってきて、とんどの残り火の中で焼きました。餅が焼けたら、灰を払って、小さくちぎりながら、「はめ(マムシ)の口、か(蚊)の口、ひる(蛭)の口」などと言いながら、火の中に入れ、自分の口の中にも入れました。当時は、おやつがそれほどなかったので、とんどで各家庭から持ち寄られた正月飾りの餅花(笹の枝に餅を丸めたものをつけて花に見立てる)などは人気があり、子供たちの間で取り合いをしながら、焼いて食べていたのを覚えています。
     京田辺市東区住民(70代・男性)

     京田辺のとんどは、現在でも一年の無病息災を願う行事として、東区以外にも各地区で受け継がれています。

    参考文献

     大島暁雄[他]編(1983)『民俗探訪事典』山川出版社


    監修:上村公則(京田辺市史編さん委員会委員 京田辺市郷土史会会長)

    作成:市史編さん室

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