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    棚倉孫神社の建造物

    • [2021年8月19日]
    • ID:16195

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     京田辺市史編さんの一環として、IT市史に取り組んでおり、京田辺の歴史や文化などをインターネット上で紹介しています。ここでは、「棚倉神社取調書」に掲載されている「綴喜郡田辺村棚倉神社側面略図」を見ながら、棚倉孫神社(たなくらひこじんじゃ)の建物についてご紹介します。

    棚倉孫神社について

     棚倉孫神社は、京田辺市田辺棚倉にあります。境内には、本殿のほか、拝殿・五社殿・神饌所( しんせんじょ) ・旧社務所・式場・絵馬殿・ずいき御輿・社務所があります。本殿は、一間社流造、檜皮葺(ひわだぶき) の建物で、昭和58年には京都府登録文化財に登録されています。現在の社務所は、もとは棚倉孫神社の神宮寺松寿院の建物でした。松寿院は明治初年に廃寺となりましたが、明治10年、ここに「盍簪家塾」(こうしんかじゅく)が開かれました。この塾は田辺小学校の校舎が完成するまで、小学校卒業後の学習の場として地元で活用されていました。
     棚倉孫神社の氏子圏は田辺地区で、現在は約400戸が氏子となっています。秋の例大祭では、約30種類もの野菜で「ずいき御輿」が作られ、地区内を巡行します。この行事は昭和53年に市指定文化財になっています。

    明治29年「棚倉神社取調書」について

     明治12年、明治政府は神社・寺院の実態を把握するため、各府県に神社明細帳・寺院明細帳の提出を命じました。綴喜郡からも明治17年に「綴喜郡神社明細帳」(京都府立京都学・歴彩館蔵)が提出されました。棚倉孫神社のものもこの中に含まれています。また、明治29年にはその訂正届として「棚倉神社取調書」(京田辺市蔵)が提出されました。この明治29年の取調書には、境内の建物とその周辺の様子が描かれた「綴喜郡田辺村棚倉神社側面略図」が掲載されています。

    「棚倉神社取調書」の「綴喜郡田辺村棚倉神社側面略図」(京田辺市蔵)

    建設年代について

     「棚倉神社取調書」の記載に、本殿は「慶長十一年午九月七日再営」とあります(慶長11年・・・安土桃山時代)。また、棚倉孫神社には本殿の造営や修理のときに造られる記録・棟札があります。そのなかには万治2年に「奉仕御造営の覚」と書いてある札があります。ほかにも、貞享3年、享保5年、延享3年、天明1年、嘉永4年の屋根の葺替えを記す札があり、継続的に社殿の整備が行われていたことがわかります。(万治・貞享・享保・延享・天明・嘉永・・・江戸時代)
     そのほか、境内には石灯籠や石碑が奉納されており、本殿右脇にある石灯籠には「天正二年 申戌卯月吉日、奉天神御宝前、城州田辺南因幡守祐海」と銘があります。(天正2年・・・安土桃山時代)

    神社境内の様子

     「棚倉神社取調書」の「綴喜郡田辺村棚倉神社側面略図」には、本殿(社殿) ・拝殿・仮殿・末社2社・南詰所・北詰所・絵馬舎が描かれています。そのほかにも本殿や鳥居の周辺には石灯籠、参道入口には石碑も描かれています。

    建物の名称

     図を見ると、絵馬舎には屋根の上に望楼が描かれています。昭和30年代に撮影された写真には絵馬舎の上に望楼が写っています。しかし、昭和36年の第二室戸台風の被害に遭い、望楼はなくなりました。

    「綴喜郡田辺村棚倉神社側面略図」の絵馬舎

    昭和の絵馬舎(棚倉孫神社蔵)

    現在の絵馬殿

     また、図には境内の東側にふたつの建物が並んで描かれています。「綴喜郡田辺村棚倉神社側面略図」には北は北詰所、南側が南詰所と記載されています。一方、「綴喜郡神社明細帳」では、同じ建物が北氏子詰所・南氏子詰所となっていますので、おそらくここは氏子が使用する建物だったと考えられます。その後、この建物は休憩所として使用されていましたが、昭和36年の第二室戸台風で被害に遭い、建て直されました。

     なお、昭和40年代になると、ここは結婚式場として使用されるようになりました。ホテルでの挙式が普及していなかった当時、田辺地区の住民は棚倉孫神社で挙式し、本町(田辺)の料理屋で披露宴を行っていたという話もあります。現在では、宮参りや祈祷で使用されています。

    「綴喜郡田辺村棚倉神社側面略図」の北詰所

    昭和の休憩所(棚倉孫神社蔵)

    現在の式場

     最後に、昭和30年代に撮影された写真から棚倉孫神社の建物の様子を見てみましょう。写真からは、本殿の門の屋根が檜皮葺であったことがわかります。しかし、棚倉孫神社に奉納されている絵馬(天保10年・義山涼信作「角力図」)には、瓦葺に描かれています。この門の屋根は昭和63年の修理で檜皮葺から瓦葺に変更されました。

    「綴喜郡田辺村棚倉神社側面略図」の本殿

    昭和の本殿(棚倉孫神社蔵)

    現在の本殿

    おわりに

     明治29年の「綴喜郡田辺村棚倉神社側面略図」と現在の様子を比べてみると、建物の使い方や外観は変化していますが、建物の位置は変化していないことがわかります。神社の境内景観は、明治期から変わらず受け継がれているといえます。

    参考文献

    (1)「綴喜郡神社明細帳」(簿冊番号:神社明細帳08/年次:明治16年度) (京都府立京都学・歴彩館蔵)

    (2)村田太平編(1963)『田辺町郷土史社寺篇』田辺町郷土史会

    (3)田辺町近代誌編さん委員会編(1987)『田辺町近代誌』


    監修:岸泰子(京田辺市史編さん美術工芸・建造物部会長 京都府立大学文学部准教授)

    作成:市史編さん室

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