ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

スマートフォン表示用の情報をスキップ

現在位置

あしあと

    マラソン競技の映像から見る昭和40年の街並み

    • [2021年4月15日]
    • ID:16087

    ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

     京田辺市史編さんの一環として、IT市史に取り組んでおり、京田辺の歴史や文化などをインターネット上で紹介しています。ここでは、昭和40年に行われたマラソン競技の映像から見る当時の京田辺の街並みについてご紹介します。

    マラソン競技の映像

    この映像は、昭和40年に行われた第1回目の田辺町民運動会のマラソン競技の映像です。約10kmの走行距離のこのマラソンは、他の競技が行われた田辺中学校のグラウンドではなく、市内を走るコースだったため、当時の田辺町の様子を垣間見ることができます。

    映像が録画されていた8mmフィルム

    【京田辺市公式ユーチューブ】

    https://www.youtube.com/watch?v=_NL6biHCX50(別ウインドウで開く)

    ※市史編さん室蔵

    ※揺れの激しい映像ですのでご注意ください。


    マラソンコース

    コースは、田辺中学校をスタートして府道八幡木津線を北に向かいます。馬坂川の水路橋をくぐって田辺本町に入り、田辺本町を抜けて天神津川の水路橋を抜けてさらに北に向かって走ります。

    薪、健康村を抜けて、大住三野の交差点を左折し、大住岡村方面に向かって走ります。澤井家住宅、大住車塚古墳の前を通り、大住郵便局の前を抜けて、駐在所の前当たりで折り返し、田辺中学校に戻っていきます。

    当時の様子と現在の様子

    田辺本町を抜けた後の薪(映像では32秒頃)です。JR東西線(当時は国鉄片町線)の踏切の付近から撮影していると思われます。当時の映像ではまだ田畑が映っていますが、現在は沿道に建物が多く建っていて田畑を確認することは出来ません。また、当時の画像では、右奥に棚倉孫神社の鎮目の森が映っていますが、現在は建物に遮られてほとんど見ることができません。
    ここが折り返し地点です(映像では1分7秒頃)。スタートからおよそ5kmといったところでしょうか。当時も現在も駐在所がすぐ側にあり、このまま直進すれば松井に抜けていきます。左に見える商店は日用品を扱う「ピンク堂」というお店で、今はすでに無くなっています。当時の道路はまだ未舗装で、松井に抜ける道沿いには森が見えます。

    当時の思い出

    映像を見ると当時の様子を思い出します。
    三野の交差点に映っているお店は岡本商店で、元々は集落内にあったお店が、車通りが増えて来たので道路沿いに移転したのだと記憶しています。折り返し地点にあるお店はピンク堂というお店です。これらのお店では食べ物や文具などの雑貨が売られていました。保育園の頃には、お金を持っておらず買い物はできませんでしたが、ピンク堂の前を通って通園していたので、そこにお店があるなというのは子ども心に思っていました。小学校に上がると、母親にお菓子や文具を買ってもらったりしました。
    当時は、田辺本町の辺りに出ることも多くはありませんでした。まして京都市内に出ることは年に数回あるかどうかです。だからかも知れませんが、集落の外に出ると妙に緊張していたものです。集落を出るためにバスに乗ると、当時は降車を伝えるボタンなんかはありませんでしたので、手をあげて降りますと車掌さんに伝えなければならなかったのですが、それがなかなか言えませんでした。ですので、緊張せずに、普段着で行ける集落内のお店は安心できる存在でした。
    今では、これらのお店は営業をされていませんが、そんなことを思い出しました。
    (三野区住民 60代男性)


    監修:本岡拓哉(京田辺市史編さん近代・現代部会部会員・同志社大学人文科学研究所専任研究員)
    作成:市史編さん室

    お問い合わせ

    京田辺市役所市民部市史編さん室

    電話: 0774-64-1301

    ファックス: 0774-62-2519

    電話番号のかけ間違いにご注意ください!

    お問い合わせフォーム