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あしあと

    山本・草内の「じゃことり」について

    • [2021年4月1日]
    • ID:15905

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     京田辺市史編さんの一環として、IT市史に取り組んでおり、京田辺の歴史や文化などをインターネット上で紹介しています。ここでは、山本・草内の田んぼの用水で行われていた「じゃことり」について紹介します。

    「じゃことり」とは?

     戦前から昭和50年代頃、9~10月、田んぼの用水のため池(鶴沢池、新池、一丁田池、五ノ坪池、荒馬池など)で、コイ、モロコ、ヘラブナ、フナ、ウナギ、ナマズや川エビなどの魚介類をとる、「じゃことり」が行われていました。コイは神饌(しんせん・神へのお供え)としたり、そのほかの小魚は販売したり、持ち帰って食用としました。ため池ごとに「じゃことり」を実施する集団は異なっており、それぞれ青年団や消防団によって担われました。

    じゃことりをしていたため池の位置図(国土地理院地理院地図をもとに一部改変)

    「じゃことり」をするまで

     コイは稚魚を産地から購入して放流し育てましたが、コイ以外の魚は放流しなくても木津川から上ってきたそうです。ここでは、三山木青年団山本支部が主体となっていた旧鶴沢池(現在の鶴沢公園)を例に、稚魚を放流してから「じゃことり」をするまでのスケジュールを紹介します。

    【「じゃことり」をするまで】

    4月:青年団の集会で放流する稚魚の量を決定し、大和郡山(奈良県)か木津の曽根山(現木津川市)へ買いに行く(100~300匹程度)。
    7月末~8月:池の水面に菱がはるので、魚に太陽をあて成長促進のため、藻たぐりをして取り除く。魚の餌として、しょいの実(醤油のしぼりかす)・米ぬか・蚕のさなぎなどを入れる。
    10月初め:池の水を抜く。ごいさぎや盗難の被害防止のため、青年団は公民館に泊まり込んで見張る。
    10月17日頃:佐牙神社の秋祭りに間に合うように実施日を設定する。午前中は青年団、午後は住民が「じゃことり」をする。素手や網でとって桶へ入れ、近くの川に生け簀を作って放しておき、午後になると青年団が住民へ魚を販売する。

    鶴沢池(松村茂氏撮影・京田辺市蔵)

    昭和30年代の「じゃことり」の思い出

     鶴沢池でとった魚は、鶴沢池付近の前川や瀬戸川をせき止めてそこへ放して、住民へ売っていました。じゃことりでは土をかき回すので、コイが泥を吸います。だから川で飼って泥を吐かせてから食べるのです。
     昔、地下を8mも掘ったら地下水が湧いていたので、山本のほとんどの家には井戸があり、買ったコイは、家の井戸に放していました。食べるとき、コイは活け作りにしました。コイ、ヘラは売りましたが、モロコやメダカからフナの小さいものなどのこじゃこは、醤油、砂糖、みりん、酒で佃煮のようにするとおいしかったので売らなかったように思います。
     山本の住民へ魚が売れなくなると、桶に水を張ってコイやフナを入れ、リヤカーに乗せて玉水橋を渡り、井手町まで売りに行きました。とれた魚を売っても、そんなに儲からなかったと記憶しています。来年のタネを買う分と、“一杯飲み”をする時のすき焼きの材料費を賄えるくらいでした。じゃことりが終わると青年団ですき焼きを作って、公民館で食べたのを覚えています。

     京田辺市山本区住民(70代男性)

    新池の「じゃことり」

     草内の新池でも、鶴沢池と同様の方法で「じゃことり」をしていました。

    【じゃことりをするまで】

    3月~:池の樋(ひ)をつめて水を張る。それまでは、池の堤防が弱わるため、池を乾かしている。
         大和郡山で購入した稚魚を放流する。餌は、青年団が蚕のさなぎなどを入れていた。
    9月~:池の水面にはった菱の実をとる。たらいを船のように水面に浮かべて乗り、池に入った。
         稲刈りまでに池の水を抜く。魚が流れていかないように、竹簀(たけす)を張り巡らせる。
    10月:草内の咋岡神社の秋祭りに間に合うように「じゃことり」をして、コイを神饌とした。平成10年代からはコイはとっておらず、購入したタイを神饌としている。

    新池の「じゃことり」(松村茂氏撮影・京田辺市蔵)

    新池のじゃことり

    おわりに

     鶴沢池の「じゃことり」は、昭和45年頃まで青年団を主体に続けられました。青年団が池床を区に返した後は、区が主催して山本区住民に開放し、昭和57年まで続けられました。昭和59年には鶴沢池は埋め立てられ、池のあった場所は山本構造改善センターと鶴沢公園になっています。鶴沢池を利用しなくなってから数年は、荒馬池で「じゃことり」をしていました。その後、ため池でコイを育てなくなると、神饌にはタイを用意するようになりました。このように、ため池は、普段は農業や防災のために利用されていましたが、秋に行うじゃことりは住民の楽しみの一つでもあったのです。

     近年、農地の宅地化が進むとともに、ため池の管理に住民が関わる姿が日本各地から失われつつあります。山本・草内のじゃことりは地域の環境と暮らしがうまく結びついていた貴重な記録としていつまでも大切にしたいものです。

    参考文献

    (1)京田辺市郷土史会編(1985)『筒城』第30輯
    (2)田辺町近代誌編さん委員会編(1987)『田辺町近代誌』


    監修:網島聖 (京田辺市史編さん民俗・地理部会員 佛教大学歴史学部准教授)

    作成:市史編さん室

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