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あしあと

    歌人北見志保子と京田辺

    • [2020年6月23日]
    • ID:15017

     京田辺市史編さんの一環として、IT市史に取り組んでおり、京田辺の歴史や文化などをインターネット上で紹介しています。ここでは、歌人北見志保子と京田辺のつながりを紹介します。

    歌人北見志保子

     北見志保子は大正末期から昭和20年代にかけて活躍した歌人です。『月光』、『花のかげ』、『珊瑚』の3冊の歌集があり、歌人としての活動の他に別名での小説・随筆も発表をしています。代表歌とされる「平城山(ならやま)」二首は、平井康三郎によって歌曲として作曲され、広く愛唱されました。

     明治18年に高知県に生まれ、小学校教員などを経て上京、同郷の橋田東声と結婚し、のちに離婚。浜忠次郎と再婚し、昭和30年5月に東京で没します。(享年70歳)

    平城山(ならやま)二首

    人恋ふはかなしきものと平城山(ならやま)にもとほりきつつ堪へがたかりき

    古へもつまを恋ひつつ越えしとふ平城山のみちに涙おとしぬ

     一首目、恋をするのは悲しいものだ。平城山をめぐり歩いていると耐えがたい思いがつのってきた。二首目、太古の昔にも夫を恋しいと思いながら越えたという、そんな平城山の道に涙を落とした。それぞれ、おおよそそのような意味でしょうか。

     この二首は、北見志保子が奈良の磐之媛皇后御陵を訪れた際に詠んだ歌とされます。磐之媛は仁徳天皇の皇后です。磐之媛の留守中に仁徳天皇が異母妹を宮中に入れて妃の一人に加えたことを聞き、宮中に戻らず多々羅の地にとどまり、天皇の使いにも、天皇自身にも会わず、同地で没し、平城山に葬られたとされます。多々羅は現在の京田辺市といわれています。

     北見志保子は、大正の一時期を奈良に滞在し、平城山を含め古跡を巡りますが、このころは自身の恋愛が問題となっていました。彼女は、同郷の歌人橋田東声と結婚していましたが、のちに離婚しています。その間に、東声の弟子で12歳年下の浜忠次郎と恋に落ちます。恋人である浜は遠くフランスに留学をしていますが、この奈良滞在は浜が留学をしていた時期にあたります。遠い地で仁徳天皇を恋い慕った磐之媛に、フランスに滞在する恋人を思う自身の心を重ねるところがあったのかも知れません。現代の歌人永田和宏はこの二首について、「人を恋う、その悲しみの原点というべき位置に、この歌は静かにぽつんと立っている」(『近代秀歌』)と評しています。

     浜がフランスから帰国したのち、ふたりは結婚します。

    北見志保子と京田辺

    昭和13年3月 継体天皇皇居故趾 
    現在の同志社大学京田辺校地付近 筒井寛昭氏所蔵

     北見志保子は奈良を愛した歌人でした。対談の中で、どういう理由で奈良を愛するのかと問われた際に、「私の郷愁です。奈良を隅々まで歩きますとあの伝統的なもの、お伽噺(とぎばなし)的なものに引き入れられるのです」(『女人短歌』四号)と答えています。彼女は大正期以降にも幾度も奈良を訪れており、短歌に詠んでいます。

     掲載の写真は、彼女が奈良から足を延ばし普賢寺村(現京田辺市多々羅)に訪れた際のもので、昭和13年3月頃とされます。この写真は東大寺で管長等を歴任された筒井氏所蔵のもの。北見志保子と筒井家には親交があり、奈良周遊の際にも案内をされたようです。この年の『多磨』8月号には、「筒城の宮」三首が掲載されており、磐之媛が住んだ多々羅の地を訪れた感慨がにじみます。

    筒城の宮

    難波津に夫をしおきて小夜床に手枕かへし恋ひし人やも

    山つつむ松風の音も波よるとききたがひけむ離り妻あはれ

    こふれども難波津とほき山城山ゆふべはさむく露にぬれけむ

     遠き難波の地に、夫である仁徳天皇をおいて多々羅の地に来た磐之媛。松風の音を難波の海の波音と聞き間違えたかもしれない、寒い夜には夜露に濡れたかも知れない。いずれの歌も、磐之媛に心を寄せた歌だと言えるでしょう。

     2首目、3首目には実際に磐之媛が住んだ多々羅の地とされる場所に立って感じた身体的な感覚が詠み込まれています。多々羅の地で聞いた風の音や体感した寒さが、それを感じたであろう磐之媛に重なっていきます。「けむ」は過去を推量する助動詞。この場合は「聞き間違えただろう」、「濡れただろう」の意味となり、多々羅の地に立った彼女が、遠き昔にこの地に住んだ磐之媛を思った痕跡がみてとれます。平城山を詠った北見志保子の代表歌2首とも響き合っていると言えるかも知れません。

    参考文献

    北見志保子(1950年)『花のかげ』

    永田和宏(2013年)『近代秀歌』

    筒井寛秀(2006年)『誰も知らない東大寺』

    田辺町近代誌編さん委員会(1987年)『田辺町近代誌』

    高知県立文学館(2010年)『「平城山」の歌人 北見志保子 没後50年展 〈志保子の歌・手紙・その生涯など〉増補改訂版』

    『多磨』昭和13年8月号

    『女人短歌』第4号(1950年)

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